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瑞龍寺(富山県高岡市)

瑞龍寺(ずいりゅうじ)

瑞龍寺_山門からの伽藍配置 景観


【所在地】富山県高岡市関本町35
【山号】高岡山
【宗旨】曹洞宗
【本尊】釈迦迦如来
【創建年】慶長19年(1614年)
【開山】広山恕陽(こうざんじょよう)
【開基】前田利常
【沿革】(瑞龍寺HPより)
曹洞宗高岡山瑞龍寺は加賀藩二代藩主前田利長公の菩提を弔うため三代藩主利常公によって建立された寺である。
 利長公は高岡に築城し、この地で亡くなった。加賀百二十万石を譲られた義弟利常は、深くその恩を感じ、
時の名工山上善右衛門嘉広をして七堂伽藍を完備し、広山恕陽禅師をもって開山とされた。
 造営は正保年間から、利長公の五十回忌の寛文三年(1663)までの約二十年の歳月を要した。
 当時、寺域は三万六千坪、周囲に壕をめぐらし、まさに城郭の姿を想わせるものがあった。
国の重要文化財として、指定されている建造物は、総門、山門、仏殿、法堂、明王堂(現僧堂)、回廊であり、
江戸初期の禅宗寺院建築として高く評価されている。

【文化財】
仏殿、法堂、山門(国宝)
総門、禅堂、大茶堂、高廊下、北回廊、南東回廊、南西回廊、紙本墨書後陽成院宸翰御消息(重要文化財)
木造烏蒭沙魔明王立像、紙本墨書近衛信尋筆懐紙、前田家寄進の宝物(富山県指定有形文化財)
石廟(富山県指定史跡)

ちなみに富山県にある国宝としては当瑞龍寺の仏殿、法堂、山門が唯一との事です(2011年現在)。


八尾で毎年行われる「越中おわら風の盆」を見に旅行した際に瑞龍寺を訪れました。
ちょうどお坊さんが説明をしていたので聞いていたのですが、非常にお話が上手く聞き入ってしまいました。
こういった方に説教していただくと有難く感じます。お寺の建造物の説明だけでなく、歴史的な背景や
仏教の教えを演技も交えつつ軽妙にお話しいただきました。
お坊さんにお話頂いた内容も交えつつ、建築物を紹介したいと思います。

瑞龍寺_山門

敷地に入り、まず最初に見えてくるのが大きな山門です。
瑞龍寺HPによると
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正保二年(一六四五)に建立され、万治年間場所を替えて建直す。
延享三年(一七四六)火災で消失、現在の建物は文政三年(一八二○)に竣工した。
再建の棟梁は山上家二十四代善右衛門吉順である。
和算により設計され、軒の出が深く禅宗寺院山門の雄と言える。
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平成9年に国宝に指定されたとの事。割と最近なんですね。
山門の周りにいる人と比べていただくとその大きさが伝わると思います。
2層造りになっており、二階部分には釈迦如来と十六羅漢像が安置されているとの事です。
二階の屋根と一階の屋根の幅がほぼ同じですが、これは二階に積もった雪が一階の屋根に落ちるのを防ぐためだそうで、雪国ならではの建築となっていることが分かります。
一階の両脇にはに阿吽の仁王像が安置されています。

瑞龍寺_山門の仁王像1 瑞龍寺_山門の仁王像2

山門には「高岡山」の扁額が掲げられています。

瑞龍寺_山門の扁額

山門を抜けると伽藍配置の内側になります。正面には仏殿が見え、その周りを取り囲むように回廊が配置されています。記事の一番上の写真がそうですね。
伽藍配置は人体に比定されているようです。

瑞龍寺_伽藍配置図


中に入って感じたのが、西洋の建築様式、とりわけ中庭を持つ修道院の構造に似ているのではないかということです。
以前にフランスのモンサンミシェル修道院を訪れたことがあるのですが、その修道院の中庭に配置された回廊に非常に似た印象を受けました。回廊をゆっくりと巡りながら修道僧が瞑想を行うのだとか。
左右対象の配置といい、後述しますが青い目のケープのようにも見える法衣を纏った達磨像といい、周囲を仏像の浮き彫りが覆っている霊廟といい、まるで西洋の教会を思わせるものが多くありました。
意図的なのかそうでないのかは不明ですが、モンサンミシェルが修道院として建てられながらも一時期砦として使用されたことと、
沿革にあるように瑞龍寺が「当時、寺域は三万六千坪、周囲に壕をめぐらし、まさに城郭の姿を想わせるものがあった。」とされることと、
何かつながりがあるようにも思えてしまいます。

回廊を右側から回ると右手には大庫裏があります。

瑞龍寺_大庫裏

説明のお坊さんによりますと当時の瑞龍寺には多くの僧侶がいましたが、現在ここで生活されている方は確か3人だそうで、「こんなに大きな竈は要りませんな」との事。
現在は大きな集まりがある際などに使用されているそうです。
もともとこの建物は明治の廃仏毀釈の折に砺波の千光寺に売却されたそうですが、復元修理の際に返却されたそうです。
復元修理はこの建物に似た設計図が見つかったことからそれをもとに行われたそうですが、実際に飯炊きをしてみると排気が上手くされないそうで、
「竈の上の天井に排気の為の構造があったのではないかと思われます。ただ設計図にはなかった為、復元は出来ませんでした」との事でした。

庫裏の横には韋駄天像が祀られていました。
「韋駄天というと足が速いことの例えですが、お姿を見ると空を飛んでいたかのようなお姿をしております。」
瑞龍寺_韋駄天像

ちなみに「韋駄天」という表記は誤字からのようです。元はヒンドゥー語のSkandaを音写して
塞建陀天または私建陀天と漢訳されたが、建駄天とも略記され、金光明経鬼神品第十三中の誤写によって
建駄天が違駄天となり、さらには道教の韋将軍信仰と習合して韋駄天と称されるようになったとの事です。
「ごちそう(御馳走)」という言葉は韋駄天が釈尊の為に方々を駆け巡って食物を集めたとの俗信に由来するそうですね。
意外と身近な仏様です。日本の禅宗では厨房や僧坊を守る護法神として祀られるそうですので、
この瑞龍寺でも庫裏に祀られていました。

大庫裏から中央の仏殿に入ると、本尊が安置されています。
写真を撮るのがなんとなく憚られましたので、画像はWikipediaから。

zuiryuji_butsuden_naibu.jpg

釈迦・文殊・普賢の三尊が祀られています。
正確な文言までは覚えていませんが、ここでの説明では次のようなことを仰っていました。
「背面の壁はまるで夕暮れを思わせるような優美な色をしております。須弥壇に至るまですべて欅で作られており、天井には吉祥天(だったかと)が表されております。
中央には釈迦・文殊・普賢の三尊が祀られておりますがこれは知恵(文殊)だけで実行力(普賢)がなくても駄目、実行力があっても知恵がなくては駄目、バランスよく三尊が祀られております。
仏教の教えは結局のところ自分がされたら嫌なことを人にしてはいけない、自分がされて嬉しいことを人にしてあげなさいということですが、
これは三歳の子供で理屈は分かりますが八十の老人になっても実行が難しいことであります。」との事。
分かりやすく深いお話をされていました。

三尊の裏手には先に書いた青い目をした達磨さんがあります。

瑞龍寺_達磨像 cape.jpg

来ている服もまるで西洋のケープ(上図右 Wikipediaより)のようで、来歴が気になります。
またこの仏殿の屋根は、鉛瓦を用いています。これは非常に珍しいもので、他の例では金沢城の石川門だけとのこと。
一説には非常時に鉄砲の弾の材料として用いられるためとも言われています。

仏殿を抜けると正面に法堂があります。写真は回廊から見た法堂です。
瑞龍寺_法堂

中に入ると土間から階段を登らなければならない程の高い位置に座敷があります。
お坊さんの説明によると座敷に座って外を眺めるとちょうど立山の山々が見られるような高さになっているとの事。
そして正面には前田利長公のこれも巨大な位牌があります。
この位牌の前でこの寺の縁起についてのお話をして頂きました。こちらもうろ覚えですので間違いがあるかもしれませんが…。

瑞龍寺_利長公位牌

「元々瑞龍寺は沿革にもあるように前田家三代の利常が二代目の利長の菩提寺として建立した寺です。
当時の前田家は今でいえば野党の党首といえるような立場で、つまり与党である徳川家が倒れれば政権の座に就けるような地位であったそうです。
利常は本当は神として利長を祀りたかった。しかしそうすると不都合があります。
家康を神として祀っている日光東照宮の存在です。そこで寺として、あくまで供養のための寺院として瑞龍寺を建立しました。
しかしそこに含意を込めました。この位牌のある座敷の欄間をよく見ると、何かに見えてきます。

瑞龍寺_利長公位牌の間

そう、まるで神社の鳥居のような欄間をしています。特に土間から見上げるとそう見えます。
これが前田家がこの寺院に込めた暗号、ダヴィンチコードならぬいわば『前田コード』です。分かる人だけ分かればいい、と。
そして中央には梅の紋があります。これは前田家が菅原道真を祖先としていることからでありますが、
当時朝廷に上るには貴族からこう言われました。『して、そちは源氏でおじゃるか?平家でおじゃるか?』
当時宮中で高い位に上がるには源氏か平家の末裔である必要がありました。
あえてこの位牌の前に菅原道真の梅の紋を配置したのは「朝廷に上る気はありませんよ」という隠れた意思表示だったのかもしれません。」

本当はもっと色々お話頂いたのですが書き記せるのはこのくらいです。本当に録音したいくらいでした(笑)

さてお坊さんの案内はここで終わり、解散となります。
位牌の向かって右側には烏枢沙摩明王が祀られています。トイレの神様ですね。

瑞龍寺_烏枢沙摩明王像

法堂の左奥には織田信長公等を祀る霊廟があります。元々瑞龍寺の前身は織田信長・信常を追善する宝円寺です。

瑞龍寺_石廟 瑞龍寺_石廟横

先にも書きましたが、霊廟の横には仏の姿が浮き彫りになっています。西洋の神殿を思わせる造りです。

回廊を回り、庫裏の反対側には禅堂があります。座禅をする場所ですね。食事などの修行も行う場合は僧堂と呼ばれるそうです。

瑞龍寺_禅堂の扁額 瑞龍寺_禅堂


以上で瑞龍寺の参拝を終えました。もともと神社に関しては興味があって巡っていましたが、今回お坊さんの大変面白い話を聞く事ができ、寺院にも興味が湧いてきました。
今後は寺社仏閣関係も機会があれば回ってみたいですね。まさにお坊さんの説教に感化された形です(笑)非常に有意義な参拝でした。
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